富山地方裁判所高岡支部 昭和45年(タ)12号 判決 1972年3月14日
原告
小野塚陞
右訴訟代理人
正力喜之助
樋爪勇
被告
小野塚太三郎
右訴訟代理人
林喜平
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
被告と亡小野塚アイとが昭和四四年一二月二日なしたる婚姻は無効なることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は亡小野塚アイ(以下「アイ」という)の弟小野塚勇高の長男であり、父勇高は昭和四五年六月八日死亡したので、原告は右勇高の相続人であり、また、右アイの相続人の一人である。
2 戸籍上、被告は昭和四四年一二月二日届出によりアイと妻の氏を称する婚姻をした旨の記載がある。
3 しかし、右婚姻は次の理由により、無効のものである。
(1) すなわち、被告は高岡食糧営団の職員として勤務中、当時芸妓業に従事し、その後置屋業を経営していたアイと馴染を重ね、一時同女を妻として同棲し、僅か約一ケ月で離婚したが、内縁関係は消えず、加えて、被告は借家生活をしていた所家主から立退きを迫られたので、遂にその先妻の子二人と兄弟の子一人を同伴してアイ方に同居するに至つた。
(2) アイは芸妓または置屋業により不動産、預金等の財産を保有するようになり、被告と同居中、同人から婚姻を求められていたが、右財産が被告ならびにその一族に分散されることを懸念し、極力同人との婚姻を拒み、ひそかに預金通帳を第三者に保管を依頼し、右財産をアイの血族に分与することを企てていた。
(3) アイは、昭和四四年二月中旬、脳率中を患い、約四ケ月余入院し、一時小康を得ていたが、同年一一月二九日午後三時半頃、突然痙攣発作に続き脳出血疾患により忽ち意識不明の状態に陥り、右の病状のまま、同年一二月一一日死亡した。
(4) およそ婚姻が有効に成立するためには、婚姻届が本人の意思に基づいて作成され、かつ、右作成当時婚姻意思(届出をする意思)を有していることが必要であるが、本件届書が作成された当時、アイはすでに意識不明状態になつており、従つて作成意思がなかつた事は明らかであり、またそれ以前に他人に届書の作成を依頼した事実も存在せず、更に、婚姻届をなす意思も有していなかつた。
(5) つまり、右婚姻届は、被告が同人と先妻との間に生れた二女木田慶子と同女の姑木田よしいと相謀り作成した虚構のものである。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1、2項は認める。3項のうち、被告が高岡食糧営団の職員であつたこと、アイが芸妓又は置屋を業としていたこと、被告とアイが夫婦として同棲していたこと、アイが不動産、預金等を有し、預金の大部分を第三者に預けていたこと、アイの発病及び死亡の事実、木田慶子と木田よしいの身分関係を認め、その余は否認。
2 被告とアイは、知人の紹介で見合をし昭和二二年七月七日松井勝次らの媒酌により、被告方で結婚式を挙げ、披露宴も催し、亡アイ方で事実上の夫婦としてアイが死亡する迄の二二年間一日の外泊もなく同棲し、円満な家庭生活を営んできたものであり、届出当時も双方の婚姻意思は明白に存在していた。
すなわち、被告とアイは共に婚姻をなす意思で被告が自署し、アイが無学無筆のためその意思により木田慶子又は被告が代表代印して作成した婚姻届を高岡市長に対し提出し受理されたものである。アイの自署を欠く点のみを以て無効とはなし得ない。
かりに、右婚姻届が受理された当時アイが意識を失つていたとしても、事実上夫婦共同生活関係にあるものが婚姻意思を有し、これに基づいて婚姻届を作成したものであるから、右婚姻は有効である。
第三 証拠<略>
理由
一、(当事者適格)
公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書であると推定される甲第一号証、第二号証の一、二によれば、アイが昭和四四年一二月一一日死亡し、その弟である亡小野塚勇高らがこれを共同相続し、同人が昭和四五年六月八日死亡し、その子である原告らがこれを相続したことが認められ、右事実によれば原告は被告とアイとの婚姻が無効か否かにより、その相続分が異つてくるのであるから、右婚姻の無効を請求する法律上の利益があり、本件訴訟についての当事者適格を有するものである。
二、(婚姻届出の存在)
前記甲第一号証および甲第八号証の存在によれば、被告とアイとが昭和四四年一二月二日届出により婚姻した旨の戸籍の記載がある。
三、(右届出時の状況)
ところで、証人黒田寛の証言およびこれによつて真正に成立したものと認められる甲第三号証によれば、アイは、昭和四四年一一月二九日脳出血の発作を起して意識不明となり、右婚姻届出の日である同年一二月二日に意識障害の程度が更に悪化し、その後一時的に障害が軽くなつたと認められることもあつたが、結局意識を回復することなく同月一一日死亡するに至つたことが認められる。
他方、証人木田慶子の証言および被告本人尋問の結果によれば被告が同年一二月一日頃娘の木田慶子に対しアイとの婚姻届を出することについて相談をし、翌二日午前一〇時頃高岡市役所に於て婚姻届用紙に所定事項の他、被告およびアイの署名欄にその氏名を記入し、右慶子及び同女の姑木田よしいに証人としての署名を受けた後、これを市役所係員に提出したことが認められる。
右認定の事実によれば、本件婚姻届がその当事者の一人であるアイの意識不明の状態に於いて作成され、かつ、届出がされたことが明らかである。
四、(婚姻の有効要件)
しかしながら、①事実上の夫婦共同生活関係にある者が、②婚姻意思を有し、③その意思に基づき婚姻の届書が作成され、若しくは、その当事者が意識を喪失する以前に右届出の委託をしていたときは届出が受理された当時当事者が意識を失つていたとしても、④その受理前に翻意したなど特段の事情のないかぎり、右届出の受理により婚姻は有効に成立するものと解するのが相当である(最判昭和四四年四月三日民集二三巻四号七〇九頁、同昭和四五年四月二一日裁判集(民)九九号一三七頁、同昭和四五年一一月二四日民集二四巻一二号一九三一頁参照)。
また、当事者が自ら署名、捺印しなかつたことのみを以つて、直ちにその婚姻の効力が妨げられることがない。
五、(婚姻意思の有無等)
そこで先ず、本件について被告とアイの関係及び婚姻意思の有無について見ると、
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
1 被告(当時四六才)とアイ(当時四二才)は昭和二二年七月七日高岡市下関の当時の被告方に於て田中直次郎の媒酌にて結婚式、披露宴を挙げ、ほどなく同市御旅屋町(通称桐木町)の従来からのアイ方に於て同棲することになり、以前からアイが養育していた同女の姪一子の他に、富士子(被告の長女)、慶子(同じく二女)、横田はるをなどと生活を共にするなどしてアイが死亡する迄二二年間余を夫婦として生活を営んできたものであること。
2 被告は、昭和三六年三月三一日、それ迄勤めていた高岡食糧営団を退職し、同年六月一〇日アイと共同で被告の右退職金四〇万円等を資金として「丸粋」と称するお好み焼屋を開業して今日に至つたこと。
3 被告とアイとの夫婦仲は普通であり、高岡市役所備付の住民票原本には未届、つまり内縁の夫婦として記載されてあり、健康保険、配給その他近隣の交際関係に於ても夫婦としての取扱いを受けていたこと。
右認定の事実によれば、被告とアイは事実上の夫婦共同生活関係にあり、かつ、婚姻意思があつたものというべきである。
もつとも、<証拠>によれば、アイが富田かくに対して預金通帳を預けていたことが認められ、右事実は、被告とアイの間に必ずしも純粋な夫婦愛が存在していなかつた証左と受取ることができないでもないが、アイが娘時代から不幸な境遇の下で苦労して財産を形成して来たものであること、双方が初老に近い年令で結婚したものであることなどを考えると、仮令夫であつても心を許し切れない面のあつたことはむしろ自然というべきであり、これを以つて直ちに両者間に婚姻意思がなく、また夫婦関係もなかつたとは認め難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
六、(委託の有無)
次に、本件婚姻届がアイの婚姻する意思に基づき、若しくは、右アイからの届出の依頼がなされていたかどうかについて見ると、
被告本人尋問の結果によれば、昭和四四年七月頃、アイから入籍の話をされた被告が市役所で婚姻届の用紙を貰つてきたこと、更に、同年九月頃、アイが被告に対し、自分は二月に倒れてこんな体になつて寿命がいつ尽きるとも判らないから入籍しておいてくれと述べたことが、証人藤巻富士子の証言によれば、よく二人で入籍しなければならないと話合つていたことが、証人木田慶子の証言によれば、アイが慶子に対して、昭和四四年八月頃、この際入籍しようかと考えているといい、同年一一月二〇日頃被告に入籍の話をしているのだが暢気で行つてくれないので困るとこぼしていたことがそれぞれ認められる。
右認定の事実に前記被告とアイの関係等を総合すれば、本件婚姻届は、アイが意識を喪失する以前である昭和四四年秋頃正式に婚姻する意思により被告に対しこれを依頼し、同人が右依頼に基づき作成提出したものと認められる。
被告がアイから依頼を受けながら、その当時直ちに届出をせず同女が危篤状態に至り始めて届出をしたことは、被告がアイの氏を称することをためらつていたからであるとも解し得られ、またアイ側の親族に婚姻届をなす旨を話さず、証人に加えなかつたことは被告とアイの親族との仲は必ずしも良好でなく、届出につき一刻も争う状態に於いて、その証人になることを依頼するならば届出自体に反対されることを慮つてのことであるとも解し得られるのであり、右事実を以つて右認定を覆えすことを得ず、その他にこれを覆えすに足る証拠はない。
七、(結論)
以上要するに、被告とアイとの間には事実上の夫婦共同生活関係があり、かつ、婚姻意思を有していたものであり、その当事者の一人であるアイの意識喪失以前になした依頼により婚姻届をしたものであるから、届出が受理された当時アイが意識を失つていたとしても、その受理前にアイが翻意したなど特段の事情が認められない本件に於いては、右届出の受理により婚姻は有効に成立したものというべきであり、これを無効とすべき事実は他に認められない。
よつて、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。 (福井欣也)